ネグロス島について

ネグロス島は、南北に372kmと長い長靴の形をした島です。フィリピンの中央部、ビサヤ地域の西部、セブ島とイロイロがあるパナイ島の間に挟まれた所に位置し、フィリピンの中では5番目に面積が大きい島です。ネグロス島は、「砂糖の島」という異名のとおり、島内には、15の製糖工場があり、フィリピン国内で生産される砂糖の6割以上をこの島のみで生産しています。島の経済の大部分は砂糖産業に依存していたため、1980年代の砂糖危機の時には経済的に大きな影響があり、たくさんの人が飢餓にあえぎました。これを期に、産業の多様化が図られ、魚の養殖や野菜・米・果物などの新たな産業が導入されましたが、いまだに砂糖に依存する割合は高くなってMap of Negrosいます。

ネグロス島は、背骨に当たるカンラオン山脈によっての西の西ネグロス州と東の東ネグロス州に分かれています。西ネグロス州は、13市、19町からなり、フィリピンで最も市の多い州です。

北部にあるシライ市は、西ビサヤ地方の文化の中心地にちなんで「ネグロスのパリ」と呼ばれいます。現在もスペイン統治時代の音楽やダンス・絵画などが受け継がれており、歴史的建造物も数多く残っています。近年新しい空港が開通し、今後の発展に期待が寄せられています。

州都のバコロドは、砂糖産業の富によって築かれた都市で、「笑顔の町」と呼ばれています。約50万人の人口を抱える大都市となっており、フィリピンで最も住みたい都市に選ばれたことがあります。近年、大きなデパートが次々とオープンしその発展は目覚しいものがあります。近年の様子は、ネグロス・マイラブ (大橋成子著)に、ネグロスでの生活がエッセイ形式で書かれています。

なぜネグロス島で活動しているのか?

私たちが主に活動しているのは、このネグロス島の西半分を占める「西ネグロス州」です。(かつて、東ネグロス州の一部でも活動していたことがあります。)右上の地図にマングローブのマークがあるところが現在の主な植林地です。中でも、シライ市バラリン村は、活動開始当初から植林と地域活性化に力を入れています。

第二次世界大戦中に当時アメリカ統治下であったフィリピンは、1941年日本に侵攻され、約4年間占領されていました。シライ市は、ネグロス島で最後まで日本兵が居残った場所でした。このシライ市で通信部隊の小隊長を務めていた故土居氏は、日本軍から教会を爆破するようにと渡された爆弾を海に放棄するなど、現地の人に対して思いやりのある行動をしていたため、地元の人から愛されていました。土居氏は戦争後も残留していた日系二世たちの支援のために何度もネグロスに足を運んでいらっしゃる中で現在のイカオ・アコ代表と出会い、「地元の人のためになる活動はないか」と協議した結果始めたのが、現在のマングローブの植林だったというわけです。

↑このページのトップへ戻る

ネグロス島の言語

西ネグロス州は、パナイ島からの移民が多く、イロイロ州と同じヒリガイノン語(通常イロンゴ語と呼ばれている)が話されています。イロンゴ語は、フィリピンの数ある言語の中で4番目に話す人の人口が多い言語で、ゆったりとしたイントネーションが特徴だといわれています。イロンゴ語講座を参考にしてください。

一方、セブに面している東ネグロス州は、セブと同じセブワノ語が話されています。同じビサヤ地域なので、イロンゴもセブワノもまとめてビサヤ語といわれることがあり、年配の人は両方が分かる人も多いですが、詳しい話になると英語かタガログ語を使うようです。個人的な感想ですが、セブワノのイントネーションの印象はイロンゴと比べると少しカツカツしている感じがします。

↑このページのトップへ戻る

ネグロス島の主な見所

アクセス

バコロドへ: 空路・・・マニラから1時間、セブから30分 海路・・・イロイロから1時間、マニラから18時間 陸路・・・セブから7時間(45分の海路を含む)
ドマゲッティーへ: 空路・・・マニラから1時間 海路・・・セブから1時間 陸路・・・バコロドから6時間

↑このページのトップへ戻る

Copyright 2008
All Rights Reserved by IKAW-AKO, 2008-2010